あっとほーむ 直送版
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皆様おめでとうございます。今年は私の干支でもあります申年です。申の漢字の一派解釈は「のびる」「のばす」「かさねる」だそうです。この意味のとおりに、緑寿園が更に躍進するよう、職員一丸となって頑張って行きますので、今年も宜しくお願いいたします。
事務企画室 森松昭夫
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平成16年1月号
  新年を迎えて お正月の思い出
※あっとほーむ直送版では発行当時のままに配信しているため、
 一部に古い情報が使用されておりますことを予めご理解いただきますようお願い申し上げます。


お正月の思い出
戦後のお正月
三輪たみ様 / (娘)山本初江様
師走から正月にかけて、懐かしい記憶と言えば、戦後まもない物の少ない時代に、正月に着る晴着の用意をしてくれたのと、かるた取り、です。肩上げ、腰あげを取り、直してくれるのが待ち遠しかったです。百人一首は読み手はいつも母で、普段と違う声にびっくりしたものです。今でも当時の温もりが心の底に残っていて、質素な生活の中でもいつも潤いを忘れずに育ててくれた両親に感謝の気持ちでいっぱいです。

お正月を待つ喜び
梅本歌子様 / (娘)順子様
子供の頃のお正月はやはり歌にあるように指折り数えて待つ楽しい日でした。戦後の物のない時代で、新しい服も靴もなかなか買ってもらえません。買ってもらってもお正月まで下ろすのを待たされたものでした。楽しみはすべてお正月までお預け、いわば我慢レースのゴールのような日でした。お正月になれば、我慢していたものが解禁になり、新しい服を着て、美味しい物を食べ、勉強をせずに、一日遊んでいられる。本当に一年に一度の特別な日でした。今の子供は毎日がお正月とあまり変わらずかえって可哀想な気がします。

四国のお正月
食彩職員 阿部照美 / (母)川村歌子様
大正生まれの私の家の元旦は、家族全員、着物を着て身支度を整え、大きな鏡餅とお酒を供えた神棚に、父母から順番に手を合わせ、一年の幸せをお祈りします。
それから、お屠蘇、お雑煮、皿鉢料理(高知県)に盛られた様々なご馳走を食べ、元旦のお祝いをします。
皿鉢料理の内容は、鯛の活き造り・焼き物、鰹のたたき、鯖の串焼き・姿寿司、押し寿司、五目いなり寿司、まき寿司,鯨の甘辛煮、数の子、くわい、羊羹、蒲鉾、天ぷら、酢の物、煮物、黒豆、おたふく豆でした。
お雑煮は、白味噌仕立てで、あんこ餅を入れたものです。
お正月の遊びといえば、男の子は凧揚げ、駒回し、女の子は、羽根つき、鞠つき、お手玉、かるた取りでした。
「一年の計は、元旦にあり。」
その言葉の通り、昔の行事を守っている事が、今の幸せにつながっているのだと信じております。
今は娘に感謝の気持ちでいっぱいです。

母のお正月
近藤 志づ子 様 / (娘)山崎 みち代 様
九月に母が入園し二ヶ月がたちますが、スタッフの方々の温かい介護で、ゆったりと過ごさせて頂いて居ります。
 母の「お正月の過ごし方」については、先ず思い浮かぶのが、私が子供の頃の事です。
 着物姿で父と二人で火鉢に手をかざし、談笑している光景です。外では羽根つきやバドミントンをしたり、家の中で「百人一首」をして楽しみました。年末は、おせち作りですが今の私の様にバタバタせず、いつの間にか出来上がっていた覚えがあります。

子供の頃のお正月
大野 イト 様
お正月というとまっ先に思いだすことがある。四才の時獅子舞に追いかけられて泣きながら家まで逃げ帰った想い出がある。朝早くから車道で羽根つき、石蹴り、隠れんぼ、鬼ごっこ、ビー玉、ドッヂボール等、夕方暗くなるまで遊んだ。雨の時は仲よしが家に集まってお手玉、おはじき、双六、歌留多とり、そして父が買ってくれた大きな喇叭のついた手回しの蓄音機に合わせて歌をうたったりした想い出は今でも忘れられない。
15才頃のお正月の思い出
岩村 一雄 様
お頭付の鰯かまぼこ、数の子(当時は安かった)を買いお節料理は自家製です。餅は四種類程搗き、雑煮の餅は茹でて柔らかくし、かまぼこ、ほうれん草、鰹節とおつゆだけです。氏神様へ参拝後、たこ上げ、竹馬乗、こま廻し、かくれんぼ、百人一首、かるた取り等。二日は登校日、国旗、国歌、校長先生のお話の後饅頭を頂いた。三日は南宮神社へ参拝、途中田や畠にみかんがお供えしてあったのを失敬、おいしかった事、今でも忘れられない。

我が家のお正月
石川 彰様 / (妹)喜久子様
我が家のお正月は二十八日のお餅ち切りから始まる。二十九日は苦餅といって嫌う。三十一日の除夜の鐘を聞きながら福茶をのみ、むし羊かん、粟おこし等で旧年の想い出話しをして新年を迎える。お正月は枕の下にある新しい洋服を着て祝膳につき、父から順に男性、母から順に女性と、お盃のお屠蘇をのみ、ご挨拶をして祝膳を戴いた。新しい服、靴を履いて明治神宮に初詣でに行くのが恒例であった。夜は眞鱈と松葉昆布のお清しで元日の行事が終る。
眞鱈…強い魚、松葉昆布…長生きをする意味らしい。

福島でのお正月
斎藤 二郎 様 / (妻)恵子 様
福島の農村で生れ育った私にとって子供の頃のお正月といえば娯楽の少なかった時代でしたので待遠しいものでした。年の暮れの近隣の人達との餅搗き、家の内外の大掃除と親に叱られながら一生懸命にやったものです。
 新年になると新しい絣の着物とゲタを履いて寒風の中に飛び出して行き他の子の凧より大きく長く見せる為、新聞紙を細長く切って尾にしたのを持って友達と一日中走り回ったものです。

なつかしい思い出
三好 キヨ 様
最後の除夜の鐘がなりおわると新しい年になったナーという気持ちになります。枕もとには、母が新しい肌着や着物をおいてくれています。それを嬉しく思いながら着て、東の方に向って、今年の健康をお願いして手を合せます。それからお正月のご馳走を頂くのですが、私は黒豆と数の子が殊に好きでした。
 昼間はスゴロクをしたり、コヨリの先にオモチャ、お菓子をつけてクジビキをしたり、羽子板をついて遊びました。なつかしい思い出です。

四十年前のお正月
阿部 カク 様 / (娘)秀子 様
お正月、テレビで宮中参賀の様子が写ると思い出す事があります。もう四十数年前になりますが、両親と行く事が数年続きました。
 そして浅草に行き、お昼は必ずスキヤキでした。その頃外食する事があまりなかった我家では、お店で食べるスキヤキは、母や私にとって大変な御馳走でとても楽しみにしていたものです。





  新年を迎えて お正月の思い出

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