3階フロアーには、長寿を全うされた13名の遺影が飾られている。100歳を超えた一人ひとりのお姿は毅然とし、自信や誇りが満ちているように感じとれる。 「生きること」を、生きている事で命の重さ、尊さを教えて下さった。皆様に感謝と、ありがとう、を何度でも言わせていただきたい。人生の先輩から、何を学ぶかは私たちの課題でもある。間もなく敬老の日。気持ちの伝わる内容の行事を考えている。サービスマネージャー 深宮 美佐子
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敬老の日おめでとうございます。皆様にとって毎日が豊かな明るい日々でありますことに、緑寿園を代表して心からお祝い申し上げます。
最近、世間では「老いる」を寿ぐ習慣が少なくなり、「老い」は、避けるものとなってしまったような気が致します。誰も彼もが年齢の見当がつかなくなり、実年齢と、見た目の違いを互いに競い合うようなことが、面白おかしく哀しく催されています。人生五十年の時代、還暦は人の人生の大きな目標でありました。それは、感慨を込めて互いが祝える節目でもあり、様々な出来事を一度「サラ」にして次の場に移る出発の節目でもあります。古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、上寿、茶寿と「老い」を生きることへの寿ぐ気持ちは、いろいろな言葉と組み合わせてその言い表しにも表現されています。
いまある自分に真直ぐに向き合い、年の重なりによって済まされていくものは済ませ、いまを素直に表現し、いまを素直に認め合うこと。「老い」を寿ぐことのできる社会は、素直な気持ちが生きている社会です。
緑寿園には、「老い」を、いま生きている皆様がいらっしゃいます。いまを体現している方がいらっしゃいます。緑寿園に居て、皆様と一緒の時間を過ごさせていただき、私たちは、幸せな時間を持たせていただいています。ありがとうございます。
私が緑寿園の最高齢者と知り、驚いています。私は産後、体がとても弱く、あの頃は今と違って医者にもかかれないし、四十代で死ぬと思っていました。まさかこんな年まで生きるとは思わなかったのです。
こちら(緑寿園)に来てからは、生活といい、美味しい食事といい、何をしても「今日は嫌だなぁ」と思う日はないのです。「幸せだ、幸せだ」と思っているのです。何から何までやって頂けて、年をとってこんなに幸せになるとは思わず、毎日感謝の気持ちでありがたく生きています。
ここまで十分すぎる程楽しく生きてきたので、何があっても悔いはありません。ありがとうございます。
宮下さんは今年で103才になられました。
御自分ですべてをなさりながら一日一日を大切に過ごされております。 (ケアワーカーより)
緑寿園にお世話になって二年が過ぎ、病気ばかりしながら八十八才になりました。長い闘病生活から抜け出したのは、平成十三年、緑寿園に来てからです。家庭では絶対出来ないお世話を親身になってして下さるお蔭で、らくらくと毎日安心して暮らしています。
昭和三十年から始めた俳句は、病気とともに、ぴたりと出来なくなっていましたが、此処で暮らすようになって、十四年の八月、お部屋が変って葭簀が張りめぐらされていたのを見て、いかにも夏らしい感じを受け、作句欲がいきなり湧いて来て、それから毎日、日記を付けるように俳句を作りつづけて楽しんで暮しています。
赤木さんは日々の生活の中から、また、我々の仕事をみつめながらたくさんの俳句を作って下さってます。
今回はその一部を紹介いただきました。