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敬老の日、お一人おひとりの長寿を心よりお慶び申し上げます。
一日が、心穏やかに過ごせる、人との優しい心遣いを交わすことができる、社会のどの場面においても気持ちを伝えることができる、時間の大切さを思うたびに人の大切さを感じます。この夏は北京においてオリンピックが開催され、暑い奔流が世界から中国へと流れ込んでいきました。久しく閉ざされていた大きな国が、世界の人々に生の姿を見せ、国際社会の一員として責任を果たしていく過程は、大きな揺れがありますので、これからは国としての活動の一つひとつが問われます。高齢の方々には、中国で活躍された方、口にすることも出来ない過酷な経験をされた方、長い歴史を体験された方等々お一人おひとりに想いがあるのではないでしょうか。それはまた、中国の方にとっても同じではないかと思います。身近にあって、この百年の歴史を共にして、いま持つ感慨が共感に変わっていけるよう、高齢の皆様からの大きな智恵を頂きたいと思っています。 |
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平成二十四年、社会福祉至誠学舎は創設百周年を迎えます。明治四十五年、創設者稲永久一郎翁は、町に浮浪していた二人の少年を依頼されて引き取り、製菓事業を興しながら、寝起きを共にし、一人前の社会人として自立する精神的な成長と、社会規範の教育指導、独立した仕事を営むことのできる手を職につける指導薫育を行いました。以来「少年の過ちはその環境にある」との信念と実践が信頼され、多くの少年を引き受け、社会事業至誠学舎として少年保護にとりくみました。
大正十四年には司法少年保護団体として認可され、昭和十七年には全財産を投じて「財団法人至誠学舎」を設立しましたが、戦災による工場・住居棟の消失により立川市に本舎を移転、保谷町に支舎を創設し事業継続を図りました。昭和二十一年創設者の急逝により法人継続の岐路に立ちましたが、事業を共にし、社会事業の意志を受け継いだ後継の方により、保育所、養老施設、児童保護施設が創設され、昭和二十七年社会福祉法人への改組により、民間社会福祉事業の本分である先駆的、開拓的な事業を全国に先駆けて開発し続けてきました。平成十年、地域に根ざした事業経営を行えるように、至誠学舎東京、至誠学舎立川に法人を分割し、更に次の百年に向けて社会福祉事業の発展につとめています。 |
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入口のドアを開けて先の方を見るといつもの位置に座っている。先ずはほっとする。片方の目を大きく見開いて微笑んでくれる。私の手を握って「あったかいね。」と言う。耳の遠いせいで近頃会話はままならないけれど、今までになかった母との安らかなひとときとなった。思えば緑寿園にお世話になって何年になるのでしょうか。二十年近く前は好きな着物を着てバスに乗り通ったデイサービス、組紐、陶芸。また沖縄旅行、とても幸せでした。園長先生を始めとして職員皆様の暖かいお心にふれて、一番嬉しい時間だったのでしょう。
その後、横浜に行ってもやはり緑寿園でした。どこに行っても緑寿園と言っては駄々をこねたようでした。ほんとうにいつでも皆様にはただ感謝の気持ちでいっぱいです。ホームに入れて頂けた時「家に居られなくてごめんね。」と申したら「ここは好きだから心配いらないよ。」と言ってくれました。ぼんやりしている今は、若しかしたら人生百年余で最も安らかな時を送っているのかもしれません。 |