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春の彼岸が待ち遠しかった今冬の寒さは、月々に細かに表現される節気で感じる気象の大きさに、なにかいままでとは違うように動いている地球規模の気象変化を感じさせます。還暦を過ぎてからの一年の積み重ねは、それまで過ごしてきた一年とは違うようで、体中で凝縮されているものが、体外で表現されるものと異なる奇妙な不思議を感じます。「年をとらなければ分からない」といわれる感覚の差異なのかもしれません。四月から高齢期を六十五歳からと区切って、十年を境に前期、後期と医療制度を説明なく区分したことに高齢者には戸惑いが起きています。緑寿園、緑寿園ケアセンター、緑寿園介護支援センター、新町地域包括支援センターをご利用され、ご縁をいただきながらこの一年間に逝去されたおひとりお一人のご冥福をお祈り申し上げさせていただきたいと願い、七月五日供養祭を開催いたします。後期の区切りを過ぎてからも長く、人としての生命を慈しみ日々を大切にされる姿勢を示していただきながら逝かれた皆様をご遺族、ご利用の皆様、職員と共にしのばせていただき、ご一緒させて頂いた時間の意義を新たにさせていただきます。 |
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大正十五年三月、熊本生まれの母は、一人娘として両親の寵愛を一身に受け、何不自由なく育ったせいか、どこかのんびりとした所がありましたが、精神的に芯の強い一面も持った女性でした。東京に出て、女学校を卒業し終戦を迎えました。シチズン時計に勤め、そこで夫となる小林喜一と職場結婚をしました。当時を知る友達や職場の方々は、母の事を、大人しくいつも穏やかな人柄とおっしゃいます。結婚後、次男一女を育てている間にも、私達子供は、母が声を荒げた姿を一度も見たことがありませんでした。 平成十一年に脳梗塞を起こし、平成十三年に緑寿園に入所後も、穏やかで絶えずにこやかにしている母の姿に安堵しておりました。手入れの行き届いた中庭で四季折々、母と共に過ごした日々、入所者の皆様と一緒に子供があやとりや塗り絵をして遊んでいただいた事、多くの思い出が甦ってまいります。 平成二十年一月十日、母は眠るように父の元へ旅立ちました。母らしく、静かで穏やかな最期でした。多くの優しさや暖かい心につつまれ、晩年を緑寿園で過ごさせていただきましたことに、心より感謝申し上げます。 |
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仏教の法(おしえ)というものをよくよく考えてみると、大変に厳しいものだと思います。安易に考えたり、「常識」に流されることを許しません。そのおしえの根本には、無常の法があって、「すべてのものは変わっていく。一瞬一瞬が、二度とないものとしてうつり変わっていく」と示しています。 仏教のおしえは、人間中心ではないのです。すべてのいのちをみつめてつつんでいます。そのいのちには、生と滅(死)が同じ事としてあります。生きるということは、常に死ということから照らされています。まったなしの人生なのです。じたばたしてもどうにもなりません。 しかし、生と死ということを大自然、大宇宙の大いなるはたらきと受け止めると、そこには大きな安心と慈しみがあります。 「よく生きてきたね」と、そのままのあなたをつつんでいます。 |
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「パキラ君」ありがとう
愛犬「パキラ」が六月二日職員に看取られ息を引き取りました。財団法人アイメイト協会(盲導犬の育成)より譲り受け、約十三年間皆様に大変可愛がっていただきました。ここに感謝申し上げます。 |