ハートをもった女性 前のページに戻る
みんなのほほえみ
・ 懐かしのマッフ  赤木 利子
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ご利用者作品大正時代から昭和にかけて、私はマッフというものを使っていたことがあった。
それは綿入れの絹で作られた30センチ程の枠で、両掌を両方から突っ込んであたためる物だった。それはほんの一時期だけで実用的でないので、一般では使われず流行はしなかった。今のようにストーブや電気器具もなく、冬はすごく寒く辛い季節だった。
マッフを使って掌がぬくもると、身体じゅうの血や肉のかたまりがゆるんで、胸の中までほんのりとしてくるのである。
マッフは、ヨーロッパあたりの貴婦人の使うものであったらしい。そういう特種な物で、2年くらいは私の手元にあったが、いつの間にか無くなってしまった。同じ横浜で暮らしていた女性たちでも、恐らく誰も持ってはいなかったと思われる。
マッフの感触とぬくもりは、92才の今日には、悲しい幽かさとなってしまった。それでも、マッフという名前だけは頭から消えなかったのである。この名前からは色々なことが連想されて、懐かしさがこみ上げてくる。宮城道男の琴の演奏会にも持って行き、うしろの寒い席で聞いていたのを思い出した。
まだまだ、ボイルのショールとか、絹のくつした、パラソル、オペラパック、(オペラバック)だろうと思うのだが・・・。
お鈴さんにもらった、オレンヂ色のビーズをびっしり埋め込んだ力作の小さいバッグは30才の利坊が持つには早過ぎたようだ。
前にコテイの粉おしろいと、一枚のチョコレートと交換した時のように、またまた高梨さんにうまいこと言われて、緑色の、どこにでもあるようなハンドバッグととりかえっこしてしまった。よく高梨さんという名を覚えていたと、不思議に思うくらい歳月が過ぎていたのである。後になって、15、6才になってからであるが、あのビーズのバッグを交換してしまったことをひどく後悔していた。13才の利坊失敗談である。