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在宅訪問ヘルパーをして ケアセンター室 高橋博美 |
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平成四年、緑寿園の在宅訪問ヘルパーになり十一年の年月が経ちましたが、まだまだ満足のいける状態にはなっていません。
父が脳血栓で倒れ、左半身麻痺の後遺症とかかえながら、十年の間、両親は懸命に生きてきました。その時私は他の地に嫁いでおり、又、何の知識もなく、母の介護の手助けができない事を、もどかしく思っていました。
今思えば、母のしていた介護は、福祉機器も充実していない中で、リハビリの先生手作りの物や、母の考案による手近な物を利用した簡単なものでした。例えば、浴槽の蓋を動かないよう固定したり(バスボードの役割)、歩きやすいように手すりを附けたりと大工仕事もこなしていました。今では、「こんなものがあったらいいな」と思うものはカタログにあり、とても便利になりました。
父が亡くなり、母は溜まっていた疲れから入院をし、以前より患っていた変形性膝関節症の手術と、八回の入退院を繰り返し、現在は要介護1となっており、週二回の生活援助と一回の身体介護で、ヘルパーの訪問を受けています。子供が看ていないのは、不甲斐ないと思われてしまいますが、母には大変でも、自分の家の中は、いつまでも自分でこなし、どうしてもできないことを手供うようにしています。一方、突発的な出来事や、、心の支えには充分対応できるようにしていきたいと考えています。私が全面的に支援してしまうと、今できている事が、徐々にできなくなり、ただ生かされている人になってしまうのが切ないのです。食べたいものを自分で作り、行きたい所に出かける事が、生きている喜びに繋がるのではないでしょうか。其のための手段として、子供達や、ヘルパーを利用しても良いのではないかと思えるのです。
それが「生きている証」と考えます。これは私の母の場合ですから、全ての人に当てはまるとは考えていません。
「自分で考え、決定し、行動に移したい」という気持を持つことが大切だと考えています。今、ヘルパーとして訪問させているご利用者様にも、できる事は時間がかかっても見守っていきたい。意思決定を尊重したいと思っています。とはいっても、ご利用者様とご家族の方々との間で、気持ちが揺れ動くこともあり、どちらのことも判るだけに辛いこともあります。また其の反面、嬉しいことも多くあります。私達ヘルパーの訪問を楽しみに待っていて下さったり、生活面で不自由なところが解消して、生き生きとなっていく姿に接したり等です。私の頭の中の引き出しには、十一年間の経験がしまわれているはずです。それを素早く、適切に引き出せるように、柔軟な心と冷静な判断ができるよう、心身ともに健康であるように気を配る毎日が、続いています。
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